長文読解

<ポイント>

出題される設問は、高校の現代文の長文読解とほぼ同じです。
要旨の把握、指示語の内容、接続詞の補充、文章の挿入などが出題されます。

他の問題を(分からない問題に考え込まずに)素早く解いて、長文読解には時間を残しましょう!(*´∀`*)
全体の得点が上がりやすい傾向があります!

「長文読解そのものの対策」は効率的ではありません!・・・ その理由
肩慣らしに1回解く程度で十分でしょう!

  • 全ての答えは文章中にある!思い込みや常識に捉われずに解こう!
  • 他の問題を素早く解いて、長文読解に時間を残そう!【超重要!】

長文読解を解くためには、「文章を素早く読む」「要旨を素早く捉えて論理的に対応する」という能力が必要ですが、 これは、直前対策でカンタンに身に付くものではありません。(ノ∀`;)

出題される文章は評論文(物事の善悪・優劣などを批評した文章)や随筆(自分の考えを自由形式で書いた文章)が多いので、 時間に余裕がある人は、様々な物を読んでみることをお薦めします。・・・って

はい。勿論冗談です。就活中に時間に余裕のあるわけがないですね(ノ∀`;)

ということで、「他の問題を素早く解いて、長文読解に時間を残す」ということを徹底しましょう!

<問題>

次の文章を読んで、(1)~(3)の問に答えなさい。

①思うに五官の認識の方法は一面分析的であると同時にまた総合的である。( 1 )耳は音響を調和分析にかける。そうして、めんどうな積分的計算をわれわれの無意識の間に安々と仕上げて、音の成分を認識すると同時に、またそれを総合した和弦(わげん)や不協和音を一つの全体として認識する。また目は、たとえば、リヒテンベルグの陽像と陰像とを一瞬時に識別する。これを客観的に識別しようとすればめんどうな分析法によって多数の係数を算出し、さらにそれを統計にかけて表示しなければならない。さらにまた、盲人の触感は猫の毛の「光沢」を識別し、贋造紙幣(がんぞうしへい)を「発見」する。しかし、物の表面の「粗度」の物理的研究はまだ揺籃(ようらん)時代を過ぎない。②これほどに有力な感官の分析総合能力が捨てて顧みられない一つの理由は、その与えるデータが数量的でないためである。③しかし、数量的のデータを与える事が必ずしも不可能とは思われない。適当なスケールさえ作ればこれは可能になる。たとえばピアノの鍵盤(けんばん)や、オストワルドの色見本は、言わばそういう方向への最初の試歩である。金相学上の顕微鏡写真帳も、そういうスケールを作るための素材の堆積(たいせき)であるとも言われよう。もし、あの複雑な模様を調和分析にかけた上で、これにさらに統計的分析を加えれば、系統的な分類に基づくスケールを設定することも、少なくとも原理的には可能である。これにやや近いものを求めれば、指紋鑑別のスケールのごときものがそれである。「あたわざるにあらず、成さざるなり」と言ってもさしつかえはないであろう。

④しかし、われわれは「考える器械」としての個人性を科学の上に認めている。「見る器械」、「聞く器械」としての優劣の存在を許容するのもやむを得まい。高価な器械を持つ人と、粗製の器械をもつ人との相違と本質的に同じとも言われる。多くのすぐれた器械の結果が互いに一致し、そうしてその結果が全系統に適合する時に、その結果を「事実」と名づけることがいけなければ、科学はその足場を失うであろう。

⑤もう一つの困難は、感官の「読み取り」が生理的心理的効果と結びついて、いろいろな障害を起こす心配のあるということである。これはしかし、修練による人間そのものの進化によって救われないものであろうか、要するに観測器械としての感官を生理的心理的効果の係蹄(けいてい)から解放することが、ここに予想される総合的実験科学への歩みを進めるために通過すべき第一関門であろうと思われる。

(寺田寅彦『感覚と科学』より)

(1)( 1 )に当てはまる接続詞を選びなさい。

  1. Aたとえば
  2. Bしかし
  3. Cそのため
  4. Dあるいは
  5. Eところで

(2)次の文章を本文中にいれる場合、最も適切な箇所はどれか、選びなさい。

それはとにかく、感官のもう一つの弱点は、個人個人による多少の差別の存在である。

  1. A
  2. B
  3. C
  4. D
  5. E

(3)本文中に述べられていることと合致するものを選びなさい。

  1. 感官の直観的・総合的認識能力は高いが、分析能力は低い。
  2. 感官が導き出すデータは一見数量的ではないが、スケールを設定することによって、これを解決できる。
  3. 感官の「読み取り」能力から、生理的心理的効果を切り離すことは不可能である。
  1. Aアだけ
  2. Bイだけ
  3. Cウだけ
  4. Dアとイ
  5. Eアとウ
  6. Fイとウ
A→(1) A.たとえば

( 1 )の前の文章では、「五官の認識の方法は一面分析的であると同時にまた総合的」と述べている。
また、( 1 )の後の文章については、五官の「耳」を例に挙げ、認識の方法が分析的、総合的であることを示している。

したがって、( 1 )には、例示の接続詞である「たとえば」が適切である。

(2) D.④

挿入する文章は「それはとにかく、感官のもう一つの弱点は、個人個人による多少の差別の存在である。」となっている。

この文章は、感官の弱点を提示しているので、この直後の文章では、この弱点について詳細が述べられている可能性が高い。
そこで、「個人個人」「多少の差別」のキーワードに注目し、これらのキーワードに関連した文章を本文中から探す。
すると、2段落目の④の直後に“しかし、われわれは「考える器械」としての個人性を科学の上に認めている。「見る器械」、「聞く器械」としての優劣の存在を許容するのもやむを得まい。”が見つかる。

したがって、④に挿入するのが最も適切であると判断できる。

(3) B.イだけ

感官の直観的・総合的認識能力は高いが、分析能力は低い。 → ×

本文の1段落目の最初には「五官の認識の方法は一面分析的であると同時にまた総合的である」とあり、1段落目の中盤には「これほどに有力な感官の分析総合能力」とある。
よって、設問の「分析能力は低い」という部分は、本文に合致しない。

感官が導き出すデータは一見数量的ではないが、スケールを設定することによって、これを解決できる。 → ○

本文の1段落目の中盤で「しかし、数量的のデータを与える事が必ずしも不可能とは思われない。
適当なスケールさえ作ればこれは可能になる。」とある。
よって、本文に合致する。

感官の「読み取り」能力から、生理的心理的効果を切り離すことは不可能である。 → ×

本文の3段落目で「観測器械としての感官を生理的心理的効果の係蹄(けいてい)から解放することが、ここに予想される総合的実験科学への歩みを進めるために通過すべき第一関門」とある。
よって、設問の「切り離すことは不可能」という部分は、本文に合致しない。